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童謡の先駆者として有名な国文学者の短い生涯を知る 吉丸一昌は明治6年9月15日、現在の臼杵市海添に生まれました。同12年、臼杵学校に入学。向学心旺盛な一昌は、大分県よりたびたび表彰されるほど優秀な児童でした。卒業後は大分県尋常中学校(現上野丘高校)、熊本県の第五高等学校(現熊本大学)へと進学し、熊本大学での夏目漱石との出会いが、彼のその後の進路に大きな影響を及ぼしたといわれています。 第五高等学校卒業後は、東京帝国大学(現東京大学)の国文科へと進みました。この頃から一昌は『修養塾』と称して少年10名と生活を共にし、勉学から衣食住、就職にいたるまで世話をしたり、東京で丁稚奉公している地方出身の少年や中学に行けない少年のために下谷中等夜学校を開設するなど少年の育成に力を注いでいます。 明治34年に大学を卒業すると東京府立第三中学校(現両国高校)の教諭となり、芥川龍之介を教えています。 明治41年には東京音楽学校(現東京芸大)の教授に招かれ、文部省より『尋常小学校唱歌』の編さん委員として作詞の主任を命じられました。その流れの中で明治45年より童謡の先駆となる『新作唱歌全十集』を発表。その中に、代表作の「早春賦」「故郷を離るヽ歌」「木の葉」などが収められています。 大正5年、43才でこの世を去るまで多くの童謡を手掛け、音楽界や文学界に逸材を送り出した偉大な生涯の幕を閉じました。 |