▲臼杵の町や海が見おろせる城跡は臼杵公園として、グランドや公園、神社などが整備され、市民の憩いの場となっています。
▲城跡一帯には桜の木がぎっしりと立ち並び、花見のシーズンには、多くの花見客で賑わいます。
▲今年の桜まつりは、3月19日(土)から4月23日(日)まで(4月19日(水)〜23日(日)は日蘭交流400周年記念事業)、臼杵公園や市内の会場などでさまざまな行事が行われます。
▲夜はライトアップされ、夜桜の下で宴会をすることもできます。
▲大友宗麟の石碑
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桜の名所「臼杵城」は、かつて海に囲まれた海城だった
臼杵城は永禄5〜6年(1562〜1563)、大友宗麟によって丹生島に築かれたお城です。海に浮かぶ丹生島は形が亀に似ているうえに、突端の潮の満ち欠けによって島の一部が亀が首を出している様に見えたことから、別名「亀ヶ城」と呼ばれていました。当時は四方を海に囲まれ、天然の要害を持つ全国でも珍しい海城だったのです。
源氏の名門だった大友氏の第21代当主・大友宗麟が移り住んで以来、臼杵では南蛮貿易や明との交易がはじまりました。虎や象、孔雀などの鳥類のほか、絵画や書籍、ラシャなど世界の産物や名品がつぎつぎともたらされ、臼杵は国内屈指の商業都市として賑わいをみせたのです。
しかし宗麟の死後、鎌倉以来400年続いた大友氏による豊後国の支配は終わりを告げ、豊後は分割されました。臼杵は福原直高(石田三成の妹婿)、太田一吉(石田三成の娘婿)を経て、関ヶ原の合戦のあと慶長5年(1600)には稲葉貞通が入封し、15代の久通まで270年間は稲葉氏の統治下となったのです。
明治6年(1873)、三層四階の天守櫓を含め31あった櫓を擁するみごとな臼杵城は、廃藩置県にともなってそのほとんどが取り壊されました。今では南東隅の卯寅口門脇櫓(うとのくちもんわきやぐら)と南西隅の畳櫓(たたみやぐら)だけが、石垣とともに華やかだった遠い時代を偲ばせます。
県下では唯一、城跡全体が県史跡に指定されている臼杵城。春には桜の名所として約1ヵ月間桜まつりが行われ、市民に親しまれています。
大友宗麟(1530〜87年)
本名は義鎮(よししげ)いい、宗麟は出家した後の道名。戦国時代に父・義鑑(よしあき)の跡を継ぎ、永禄3年(1560)には豊前、豊後、筑前、筑後、肥前、肥後=現在の大分県、福岡県、熊本県、佐賀県、長崎県)の九州6カ国の守護職になりました。天正6年(1578)、ドン・フランシスコと称してキリシタン大名となり、宮崎県延岡市にキリスト教の理想郷を建設するために出陣。耳川の合戦で島津軍に破れ、その後は急速に国力を弱め、失意のうちに57歳の生涯を閉じました。
<臼杵公園>
■住 所/臼杵市 臼杵公園
■問 い合せ先/臼杵市役所商工観光課
TEL 0972-63-1111
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