★臼杵港


臼杵市では、リーフデ号漂着400年を記念して、臼杵港をメイン会場にお祭り利が行われました。
▲漂着したリーフデ号の模型。


▲オランダの方でしょうか?道でお昼を食べてます。


日本の自衛隊の船です。


▲自衛隊の船で臼杵湾のクルージングがおこなわれました。ちょうど、臼杵湾から津久見島をながめているとこです。

臼杵沿岸と『リーフデ号』の漂着 
 1隻のオランダ船が、豊後の海岸に漂着したのは、関ヶ原の合戦がおこった、1600年の春のことです。
 船の名前は『リーフデ号』、航海長はイギリス人のウィリアム=アダムス、水先案内人はオランダ人のヤン=ヨーステンです。
 漂着した時の乗り組み員は24人で、このうち、歩くことが出来たのはわずかに6人だったそうです。それほど厳しい長い航海だったのでしょう。
 その後、アダムスとヨーステンは、徳川家康から、江戸に呼びよせられ、幕府の外交顧問として、オランダとの貿易に大きな役割を果たします。
 しかし、二度と故郷へ帰ることは許されませんでした。

 最近、リーフデ号の漂着は、臼杵湾の佐志生ではなく、佐伯湾の「指夫(させぶ)」ではないかという説がでてきているそうです。

 アダムスが書いた手紙から考えると「漂着地はもう少し南」かもしれないということです。

 「臼杵市史」には、「大まかな味方ではあるが、佐伯湾岸から臼杵湾岸にかけての沿岸部のいずれかの地点に漂着したと考えて間違いあるまい。」といった記載があるそうですが、上陸部がどこなのか、正確なことはわかっていません。

 しかし、臼杵の黒島の畑から「外国人らしい長身の人骨がでた」、ウィリアム=アダムスの手紙の中に「豊後の国に漂着した翌日、3人の仲間が長の患いの末に亡くなった。」という記実があるなど、興味深い事実が残されています。

 いずれにせよ、400年近く前、1隻の大きな帆船が流れ着き、その船上には、疲れ果てたヒゲぼうぼうの大男たちがうごめいていた、それは、きっと幽霊船さながらの光景だったのでしょう。

<臼杵港>
住    所/臼杵市 
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