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歴史の中で、臼杵の町を見守り続けてきた名刹 城下町・臼杵の歴史は永禄5年(1562)、キリシタン大名・大友宗麟によって四方を海に囲まれた要塞の丹生島に臼杵城が築城されたことから始まります。 当時の臼杵は、開かれた港町として明やポルトガルの商人が行き交う国際的な商業都市でし た。 その後、大友氏は島津藩との戦いに破れて落城。代わりに美濃(岐阜県)から慶長5年(1600)、稲葉氏が入封しました。 現在の臼杵の街並は、この稲葉氏の時代に築かれたのです。本丁通りを行くと、簡素な山門が目に入ります。山門を抜けて見通しの良い長い石段を登ると、そこが臨済宗妙臨寺派の月桂寺。 藩公専用の御成門を入ると、庭を囲むように御成玄関と書院を擁する本堂、観音堂、庫裡が並びます。御成門の脇には経蔵と地蔵堂があり、さらに奥へ進むと、御霊屋と呼ばれる霊廟がふたつ。ひとつは稲葉家のもの、もうひとつは奥方の霊廟です。さらに、うっそうと茂る樹木を背景に、つつじが美しい庭園や十六羅漢群などが連なります。 月桂寺は、臼杵5万石の藩主・稲葉公の菩提寺として慶長13年(1608)、湖南宗嶽和尚が開山し、稲葉典通が創建したお寺。その後およそ400年、時代の移り変わりとともに生き続けていた名刹のひとつです。 平成5年7月の集中豪雨で崩落した石垣も復旧され、今も臼杵の町を見守りつづけています。
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