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知識欲に強い弥生子 |
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弥生子は知識欲が旺盛でしかも、努力又努力の人です。三人の子供を生み育て、同時に大学生になった弟、武馬を引き取り、親族の子供も預かり、寸暇をさいて読書にふけり、多忙な中に時間をさいて精神を集中して作家活動に没頭しました。弥生子が90才を越しても精神集中が出来るのは、若い時から養われたものだと思います。25才の時、長男素一を、28才の時、次男茂吉郎を、33才の時、三男燿三を生み育てながら、28才の時「ギリシャローマ神話」を翻訳したのですから、大した努力です。 大内先生から戴いた手紙は、50通を越しました。田辺先生からのは100通を越しました。 夫の野上豊一郎は66才の時、法政大学の総長室で倒れました。大内兵衛先生が次の法政大学の総長をひき受けてくれました。 |
田辺元 昭和20年から疎開先永住。弥生子は26年9月かた35年まで毎週2回、田辺山荘で哲学の講義を受けた。 |
フンドーキン醤油株式会社会長 |
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