フンドーキン醤油ロゴ

野上弥生子エピソード【22】


最後の日記とゴルバチョフ書記長

野上弥生子の日記は、大正12年7月31日に始まり、昭和60年3月13日に終っています。62年間続いたわけです。弥生子は3月30日に急死しています。急死前の日記、

二月二十八日 木、朝雪、のち雨田中角栄が脳ソッチュウでテイシン病院に運びこまれたニュース伝わる。

三月十一日 月曜日、 雪
また日記怠たる。

素一の窓の紅梅がくれなゐの厚ぼつたい群らがりをまだ乱さない で美しいのが、今日のような雪ではなほも繊麗に見える。玄関まへのこぶしの、あのほの黄いろ〔い〕花の群がりも早春のわが家の愉しい見ものだが、それだけに急に霜がふって茶褐色も濃い黄ばみにおとろえるのが痛ましい茂吉郎の病院生活は、正子のつき添ひで様子がわかるだけ気になる点も多い。それだのに、私はまだ一度も見舞ひには出掛けてゐない。今年の春寒が異例なためでもある。「白寿」以来の、ごたごたも、まだ尾をひくであろう。

田中角栄がおとなりの逓信病院で寝こんでいるのも、奇妙なめぐり合せの気さへする。

「朝日」に私のシャシンの顔が出てゐる。例の「白寿」について。

正ちゃんのところへ、どこからか電話があり、知らないひとからインタヴューの頼みらしいので打っちやつておいた。臼杵へひつぱりだされるのが、結句燿三と三枝ちゃんになるらしい。

三月十二日 火、雪、庭上に敷石の通路のみをつらねて白、がいがい。ソヴェート・ロシアは支配者が交代。書記長にゴルバチョフ氏、54才の若返りである。

三月十三日 水、庭上いっぱいに白がいがい。 素一の窓はそれに引きかえ紅梅の花まだ衰えず。ソヴェート・ ロシア。ゴルバチョフの出現で別な世界をつくりあげることが果して可能であらうか。

伴野の木内さんから例年のお餅の代りに手づくりの御菓子がいろいろ、さまざま贈られて来た。御親切なことである。返礼に「ちりめん・いりこ」でもと思ふ。

野上弥生子は、3月13日の日記を書いて、29日の朝9時失神し、翌朝6時35分息をひきとりました。

亡くなる前の10日間は、次男茂吉郎の病気が心配で、いつ電話がかかってくるかと気になり、電話のある一階の居間におる事が多かったそうです。

二階に住んで、毎日階段を、上り、下りする規則正しい生活が狂ってきました。それが死期を何日か早めたかも知れません。

それにしても、あと40日で百才になろうというおばあさんがゴルバチョフが書記長に就任した翌日の日記に、ゴルバチョフの出現で別の世界をつくりあげることが果して可能であろうかと考えることは、誠に恐るべきおばあさんだと思います。

フンドーキン醤油株式会社
会長小手川力一郎

ゴルバチョフ前大統領


第23回へ