弥生子はかねがね大江健三郎を大変褒めておりました。又、大江健三郎のすぐれたところを吸収しようと必死になっていると私は思っていました。
ある時私は、弥生子が大江健三郎と対談しているのをテレビで見た事があります。
弥生子は自信に満ちて、堂々としており、弟か弟子に話しているような態度です。大江健三郎は、かしこまっており、先生か母に対するような態度に見えました。
私はこの様子をテレビで見ていてびっくりしました。二人は気持ちに通ずるところがあったのだと思います。二人の年令は50才違います。野上弥生子の白寿のお祝いの時に、野上三枝子さんが終始つきそっておりました。
その三枝子さんの話によると、野上弥生子が大江健三郎さんを呼びよせられて、「これからも今迄どおり仕事をして下さい。大江さんあなたは、障害のあるお子様を育てていくにあたって、人の好意を受け入れなさい。他人から助けてもらう事も考えなさい。私はあなたのお子様の事を家でよく話をします。私は北軽井沢の山荘で死ぬ事になるでしょう」と話されたそうです。
それから10ヶ月後、野上弥生子は亡くなり、葬儀は昭和60年4月3日東本願寺で行われました。その葬儀の進行係を大江健三郎さんがしたのには私はびっくりしました。
大江健三郎さんの声も、態度も悲しみに満ちており、本当に惜しい人を亡くして残念でたまらない、淋しい、悲しいのお気持ちが現われており、私共は、大変心をうたれました。
大江さんと弥生子は、本当に気持ちの合った、仲の良い二人だったと思います。
フンドーキン醤油株式会社
会長小手川力一郎
|