長男 素一の妻 静子(旧姓千葉)
祖父、澁澤喜作は、明治の実業家でたばこ会社を経営。父、千葉亀乃助も著明な実業家である。
静子さんは、優しくて、よく気が付く女性だった。実業家の家に生まれただけあって、私どもとよく気があう。野上三兄弟の中で、長男の嫁だけあって一番しっかりしている。
次男 茂吉郎の妻 正子(旧姓高野)
平成6年3月3日死亡。
高野岩三郎の御子息、高野一郎と野上茂吉郎は誠乃小学校時代からの同級生で、家も渡辺町で、近かった。(山手線巣鴨駅で乗車)茂吉郎は友人高野一郎の妹の正子と結婚した。
正子の父、高野岩三郎は1871年生まれ(野上弥生子の14歳年上)、1949年没。ドイツ留学後、東大統計学教授となり、東大の経済学部を法科より独立させた人。櫛田民蔵、大内兵衛、森戸辰男、櫂田保乃助、舞出長五郎等を育てた。大原社会問題研究所を設立し、所長となる。
戦後、日本社会党の設立に参加し、1946年(昭和21年)NHKの会長に就任した。高野さんを会長に推したのは放送委員会で、委員は岩波茂雄、宮本百合子、荒畑寒村、小倉金乃助、田島道治等17名。
尚、岩三郎の兄高野辰太郎は、日本で最初の労働組合と生協店を作った人である(明治30年)。
昨、平成9年7月、東京の総評会館で、労働組合発足100周年記念式典が挙行され、翌日吉祥寺のお寺にある房太郎のお墓に一同お参りした。野上弥生子の孫たち(岩三郎の孫でもある)も招かれて参加した。
三男 耀三の妻 三枝子(旧姓市河)
三枝子の父、市河三喜は英文学者であり、東大の図書館長をされた人。
三枝子の母、靖子(旧姓穂積)は明治の実業家渋沢栄一の長女歌子と穂積陳重(明治憲法の起草者)の間に生まれた女性である。
靖子の兄、穂積重遠は、穂積陳重の長男で、東大法学部長となる。敗戦後は、東宮大夫兼東宮侍従として皇太子殿下の教育にあたられた人。1949年、最高裁判事となる。
三枝子さんは、私と同年の大正11年生まれの75歳。成城学園初頭学級で36年間英語を教えた。その後、日本橋女学館短期大学教授となる。小学校英語教育の日本の第一人者となる。
野上弥生子が中国へ招かれた時の(昭和32年)は、終始同行し、毛沢東の住居を見るため、延安にもいった。
白寿の祝いの席もいつもそばにつきそった。
フンドーキン醤油株式会社
会長小手川力一郎
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