三つの訓
父、、金次郎が亡くなる3年程前、父は77才、私は47才の頃、私は伯母の家から帰ろうとすると、「一寸待ちなさい」と呼びとめられて二階の座敷に連れて行かれました。座敷に座ぶとんが二つおいてあり、私は伯母の前に正座させられました。じっと私の目を見つめて、二分、三分と呼吸をととのえて、「これから私の聞く事に答えなさい」と言って又、一息いれて、「近頃おみその味は良いですか」と質問してきました。真剣で、厳粛で、裂帛の気合いがひしひしと迫ってきて、うかつな事は答えられません。「良いおみそが出来ています。評判も良い」と私は答えました。暫く間をおいて、伯母は「そう、それは良い、食べものは味が一番大切ですよ」と言って又間をおき、「お給料は充分ですか」と質問してきました。この質問には参りました。社員に満足する給料はなかなか払えません。何と答えたものかと私は考え込みました。伯母はその間微動だもしません。無言でじっと私の目を見つめて返事を待っています。意を決して、「充分な給料はなかなか払えません。九州には大きなみそ、醤油メーカーが8社ありますが、その中で常に一番か二番の給料です」と答えました。伯母はしばらく無言でした。そして「そう」とだけ言って無言でじっと私を見つめています。1分2分と経ち、大変な迫力を感じました。その内、「以前銀行からお金を借りるという話がありましたが、あのお金は全部返しましたか」と質問して、じっと私の目を見つめています。私は「あのお金は返しました。しかし、他の用途で又借りました。借入金は減っていません」と答えました。しばらく無言の伯母は「そう」と短くつぶやき、そのうち圧力がだんだんとうすれてきて、「では気をつけてお帰りなさい」と言いました。私はその時、大変な疲れを感じました。今思うに、父金次郎がだんだん年寄って、会社の実権が長男の力一郎に移ったと感じた伯母は、総責任者たる者の心構えを自覚させようとの気持ちだったと思います。父が亡くなってしばらくして、私と弟の道郎が伯母の家を訪ねた時、二人をつかまえて、「兄弟力を合わせて、会社の経営を一生懸命やりなさい。伯母さんから一つだけお願いがあります。月1回力一郎夫婦と道郎夫婦と4人で食事をしなさい。両方の家で交互にすればよい。別に話す用事のない時でも毎月会食をしなさい」と言いました。フンドーキン醤油株式会社会長
小手川力一郎
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野上弥生子
小手川金次郎
生家・小手側酒造。祖父悦次郎が安政2年に創業、父角次郎が発展させた。今も往時の姿をとどめている。
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