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野上弥生子エピソード【8】


沖縄と弥生子

ある時、伯母から突然、お前は、会議所の会頭だそうだが、沖縄を助ける事は出来ないかと言われました。私は思いもよらぬ事を言われて、唖然としました。沖縄を助ける事は政治家のする事です。臼杵の会議所の会頭に何が出来ましょうか、認識違いも甚だしいと答えました。伯母は、会議所には全国組織がないのかと聞くので、それはあります。然し、会議所に沖縄を助けるそんな力はありませんよ、と言いました。伯母はそれっきり黙ってしまいました。私は、伯母は何とトッピな事を言う人かと思いましたが、その時の真剣な伯母の顔だけは頭に残りました。私は中小企業の経営者として、又、会議所の役員として、昭和40年頃から市外電話料金の引下げ運動をしておりました。新聞に何度も投書しました。ラジオやテレビでも意見を言いました。ハガキは全国どこへ出しても同一料金だ、テレビもラジオも全国同一料金だ。何故電話だけが距離が遠くなれば料金が高くなるのか。全国同一料金にせよというのが私の主張です。昭和60年NTTが生れ、眞藤恒さんが社長になって、お客様の意見をきく会が全国各地で開かれるようになりました。市外料金も下がり始めました。平松知事も、電話料金の全国同一料金にせよと叫んでくれました。私は市外電話料金をもっと下げよ、特に沖縄は島が多くて、となり村に行くのに船で行かねばならぬ。日本一不便な県だ。距離も遠くて、電話料金が日本一高い。戦場になったのは沖縄だけだ、せめて沖縄県内は三分10円にせよと主張しました。とても実現はダメと思っていましたが、伯母の顔を思いうかべて頑張りました。海の上は電話料金の計算に入れるべきでない、と会合のたびに主張しました。皆から、又小手川さんの電話料金が始まったと言われたものです。ところが、63年2月から沖縄の電話料金がドカーンと下がったのです。平成元年2月から海の上の距離は電話料金の計算に入れない事に決まりました。夢のような気がします。臼杵の会頭でも火をつける事が出来たのです。一個人の力は弱くても、組織を動かせば大きな力が発揮できる事を知りました。町の区長でも、オンブズマンでも組織を活用すれば良い事も悪い事も出来ます。組織の威力を、私は伯母から学びました。
フンドーキン醤油株式会社会長
小手川力一郎

 

ルーズベルト夫人と

平松知事と歓談

 

 

フンドーキン醤油株式会社会長
小手川力一郎氏(筆者)


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