▲旧臼杵藩主 稲葉家下屋敷概観
▲第13代臼杵藩主・幾通公の奥方が、中津城主・奥平家より嫁入りした時のお駕籠。
▲一面に芝が植えられ、松や楓、ツツジなど四季折々に美しい姿を見せる日本庭園。大名座敷では、予約をすれば庭園を眺めながら「黄飯」や「きらすまめし」といった臼杵の郷土料理がいただけます。
▲”国をも崩す”という意味から当時「国崩し」と呼ばれた大砲のレプリカ。本物の「国崩し」は、明治4年の廃藩置県の折に朝廷に献上され、現在は靖国神社にあります。
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稲葉家は戦国時代の名家
臼杵は江戸時代、稲葉五万石の城下町でした。慶長5年(1600)、初代・貞通が美濃(岐阜県)の郡上八幡より移封されて以来、15代の久通までおよそ270年間、臼杵を統治したのです。稲葉家は、織田信長や豊臣秀吉といった時の有力者のもとで戦国時代を生き抜いた武人の家柄。NHKの大河ドラマにも登場した稲葉一鉄は初代・貞通の父にあたり、”一徹者”という言葉のモデルになった人物と言われています。徳川三代将軍・家光の乳母で知られる春日局は、一鉄の姪で、夫と離別したのちに血縁の稲葉氏を頼り、一時は二王座(市内の武家屋敷街)で暮らしていました。真実かどうかは謎ですが、稲葉家の系譜には、将軍・家光はなんと春日局と秀忠の子であると書かれているのです。
里帰りのために建設されたお屋敷
稲葉家下屋敷は明治35年(1902)、廃藩置県後に東京に居を移した旧藩主の里帰りのために町の有志が建設したお屋敷です。約1000坪の敷地には、南面に広い庭を配し、5棟の建物が雁行型に廊下で結ばれています。数寄屋風造りの建物は、2階建ての厨房棟を除き、他の棟は平屋の桟瓦葺き。母屋は桁行6間半、梁行4間の入母屋造りで妻側(南側)に間口2間の式台付き玄関を備えています。お屋敷には、書院造りの奥座敷や謁見の間であった表座敷などがあり、殿様をお迎えするにふさわしい格式あふれる造りです。南蛮より、我が国に渡来した最初の大砲稲葉氏の居城であった臼杵城は、キリシタン大名・大友宗麟によって築かれた城を土台としています。大友氏は戦国時代、一時は九州六カ国を治めるほどの一大勢力を誇った豊後(大分県)大名でした。
ところで稲葉家下屋敷の廊下には、「国崩し」と呼ばれる古い大砲が横たわっています。一体なぜ?と思う人も多いでしょう。実は、我が国で最初に大砲を使ったのが大友宗麟だったからなのです。大友宗麟は南蛮と積極的に貿易を行い、天正4年(1576)に初めてポルトガル人から大砲を手に入れました。実際にこの大砲が使われたのは天正14年(1586)、薩摩(鹿児島県)の島津義久率いる大軍が豊後に侵入した「豊薩の役」だったそうです。
■入館時間 8時30分〜17時
■入館料 大人320円、小人160円
■お問合わせ 0972-62-3399
■所在地 臼杵市祇園洲
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