▲門から土間、表玄関、下の間へと続く格式ある「表」。窓からは竹林や庭が望め、屋敷の中で最も眺めの良い位置に造られています。
▲南面に連なる「奥」の部屋と庭。
▲「湯殿」と呼ばれる風呂場。薪が貴重だった当時は、湯舟に湯を張るのではなく、台所で沸かした湯をタライに入れて湯浴みをしていました。
▲内玄関にはかまどが2つあります。大きいかまどはお正月や結婚式などの祝儀の時に使われ、小さいかまどは後年、お茶を煎るために造られました。隣の台所にも家人用のかまどが3つ並び、土間に降りずに仕事ができるように焚口が板の間側に設けられています。
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臼杵藩の中級武士だった丸毛家
丸毛氏は美濃国(岐阜県)の武士で、明智光秀の家臣だった斎藤氏の一族でした。天正10年(1582)の山崎合戦で光秀が豊臣秀吉に破れたため、長い間流浪していたと言われています。
その丸毛氏が臼杵藩に召し抱えられたのは寛永5年(1628)。初代臼杵藩主、稲葉貞通の父・一徹の娘が丸毛弥市右衛門忠勝の外祖母にあたり、三代藩主・一通から200万石の土地が与えられたのです。その後は明治維新まで臼杵藩の中級武士として君臨しました。
江戸時代後期の建築様式をとどめる屋敷
旧丸毛家屋敷は、江戸時代後期の建築様式をとどめる臼杵でも数少ない武家屋敷のひとつ。最近まで一般住宅として使われていたにもかかわらず当時の姿をそのままとどめています。
この屋敷の大きな特徴は、来客用の「表」と家族の生活の場であった「奥」に分けられ、壁によって完全に区切られていることです。
門から表玄関を入ると「表」座敷きへと連なり、下の間、次の間、上の間と広々とした3つの座敷が竹林と庭を借景に並びます。「奥」は屋敷中央にある廊下を抜けた南側に位置し、仏間と居間、茶の間があります。
屋敷と同様に、玄関も来客用の「表玄関」と家人用の「内玄関」に分かれているのもこの屋敷の特徴です。「表玄関」には天井が張られ、上がりかまちの板張りも異なるなど、体面を重んじた武家の格式がうかがえます。このように、建物に入ってから広い土間に「表玄関」と「内玄関」が並ぶ例は珍しく、貴重な建築構造です。
西日本には珍しい床ざし(切腹の間)
座敷きの天井のさおぶちは、ふつう床の間に対して平行に張りますが、「次の間」と「上の間」の間のさおぶちは、直行する”床ざし”という張り方をしています。”床ざし”は”切腹の間”という意味があり、西日本の武家屋敷ではあまり見られません。
なぜこの屋敷に”床ざし”を用いたのかは不明ですが、常に死を覚悟している武士の気概を示すためではないかといわれています。
■入館時間 9時〜17時
■休館日 月曜、祭日の翌日
■入館料 無料
■お問合わせ 臼杵市文化財室
0972-63-1111(代)
■所在地 臼杵市海添
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