野上弥生子は明治18年、代屋(現小手川酒造)三代目、角三郎とマサの長女として臼杵に生まれました。本名はヤエといい、その弟がフンドーキンの二代目金次郎です。15歳で単身上京、同郷の野上豊一郎と結婚したのち、夏目漱石の指導を受けて小説を書き始めました。以後、99歳で逝去するまで現役作家として、「海神丸」「真知子」「迷路」など多数の作品を発表し、昭和39年には「秀吉と利休」で、女流文学賞を受賞、又、昭和46年には文化勲章を受章しました。
夫が夏目漱石の弟子という文学的環境の中で小説を書き始め、文学者としての道を歩きだしました。以後、99歳まで現役作家として、「海神丸」「真知子」「迷路」など多数の作品を発表。臼杵を代表する作家です。昭和47年に87歳で長編「森」第一章を発表。以後断続的に雑誌に発表しました。
弥生子は、するどい見識をもつ知識人でしたが、家庭を第一、作家活動は第二とし、外部での作家との交際や、政治活動などとは無縁でした。
3人の息子をもうけ、京大教授、東大教養学部教授、東大理学部教授と、いずれも学者に育てあげました。
弥生子はフンドーキン二代目金次郎の姉であり、フンドーキンと深いつながりが窺われるエピソードが多く残されています。弥生子は金次郎を見守るのと同様に、フンドーキンのことも常に気にかけ、その経営を最後まで案じていました。
明治18年 | 5月6日、大分県北海部群臼杵町に生まれる。本名ヤエ。 | |
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明治33年 | 15歳 | 上京。明治女学校に入学。 |
明治39年 | 21歳 | 同郷の野上豊一郎と結婚。 |
明治40年 | 22歳 | 夏目漱石の指導で処女作「縁」を発表。 |
大正 2年 | 28歳 | 夏目漱石の序文で翻訳「伝説の時代」を出版。 |
大正11年 | 37歳 | 出世作「海神丸」を発表。 |
昭和 3年 | 43歳 | 初長編「真知子」の連載始まる。 |
昭和12年 | 52歳 | 「迷路」を発表。 |
昭和13年 | 53歳 | 10月から1年間、日英交換教授として渡欧する豊一郎に同行してヨーロッパへ。 |
昭和22年 | 62歳 | 日本芸術院会員になる。 |
昭和33年 | 73歳 | 「迷路」により読売文学賞を受賞。 |
昭和37年 | 77歳 | 「秀吉と利休」を発表。 |
昭和39年 | 79歳 | 「秀吉と利休」により第3回女流文学賞受賞。 |
昭和46年 | 86歳 | 文化勲章を受章。 |
昭和53年 | 93歳 | 臼杵市名誉市民となる。 |
昭和56年 | 96歳 | 朝日賞を受賞。 |
昭和60年 | 99歳 | 「森」を発表。 |