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フンドーキンとのつながり
弥生子はフンドーキンと非常に深いつながりがありました。晩年まで、先立ってしまった弟、フンドーキン二代目金次郎のことや、臼杵のことに心を砕いていたといわれます。
フンドーキン二代目金次郎の姉
大学時代に弥生子の家に下宿
野上弥生子は明治18年、代屋(現小手川酒造)三代目、角三郎とマサの長女として臼杵に生まれました。本名はヤエといい、その弟がフンドーキンの二代目金次郎です。15歳で単身上京、同郷の野上豊一郎と結婚したのち、夏目漱石の指導を受けて小説を書き始めました。以後、99歳で逝去するまで現役作家として、「海神丸」「真知子」「迷路」など多数の作品を発表し、昭和39年には「秀吉と利休」で、女流文学賞を受賞、又、昭和46年には文化勲章を受章しました。
フンドーキンへの金銭的援助
野上弥生子は明治18年、代屋(現小手川酒造)三代目、角三郎とマサの長女として臼杵に生まれました。本名はヤエといい、その弟がフンドーキンの二代目金次郎です。15歳で単身上京、同郷の野上豊一郎と結婚したのち、夏目漱石の指導を受けて小説を書き始めました。以後、99歳で逝去するまで現役作家として、「海神丸」「真知子」「迷路」など多数の作品を発表し、昭和39年には「秀吉と利休」で、女流文学賞を受賞、又、昭和46年には文化勲章を受章しました。
フンドーキン3代目力一郎と弥生子
力一郎に弥生子が与えた3つの訓
力一郎は金次郎の実息です。金次郎が会長職となり、力一郎が社長業をついだまもなくのころ、正座をさせて
「おいしいおみそができていますか」
「社員の皆さんのお給料は充分ですか」
「銀行からの借金は返してしまいましたか」
という3つの問いを尋ねました。会社の総責任者たる者の心構えを自覚させようとしての行為に違いありません。力一郎は弥生子のただならぬ気迫に押されながら、正直に現状をふまえて答えたといいます。
この3つの問いは力一郎、道郎兄弟の経営者の心構えとして書にしたためられ、今もなお会社の壁にかけられています。
弥生子99歳を記念して作られたお酒
「白寿」
野上弥生子が白寿(99歳)を迎えた折り、記念に「白寿」というお酒が作られました。愛飲する方々の長寿と幸せを願って命名されたもので、ラベルの文字も弥生子の直筆です。麦の風味を生かした爽やかでくせのない本格麦焼酎となっており、現在も小手川酒造で販売されています。