江戸時代末期に創業した小さな「金城印の小手川商店」から、現在の「フンドーキン醬油」へ。
そこには、幾多の苦難とともに、多くの人々の力による会社発展の歴史があります。
フンドーキン醤油の創業者は、初代・小手川金次郎です。金次郎の兄、小手川常次郎は酒造業を営んでいましたが、酒造では麹を造るのに一年に一度しか「麹むろ」を使わないため、空いている時期の「麹むろ」を使用し、醤油・味噌の製造を始めました。その後、小手川金次郎が分家して文久元年に醤油・味噌の製造会社「小手川商店」を創業します。
これが現在のフンドーキン醬油の創始であったと代々伝えられています。
フンドーキン醬油の創始 「小手川商店」創業(屋号は「代屋」) |
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大政奉還・王政復古の大号令 | |
江戸を東京都と改める |
初代金次郎には子どもがいなかった為、甥の武馬を養子として二代目を襲名させました。
金次郎は臼杵川河口の中州に醤油・味噌の製造工場を建設します。臼杵は海運によって発展した大分でも有数の商業都市であり、原料の入荷も製品の出荷も中州という立地は合理的だったろうと言われています。
九州だけでなく西日本へも販路を拡大し、さらに1937年に始まった日中戦争によって、軍からの製品の注文を受けることで業績は順調に伸びていきました。
登録商標を”フンドーキン”と改名 | |
太平洋戦争始まる |
戦中の順調な経営から一転、戦後、小手川商店は苦難の時代を迎えることとなります。
台風、火災によって原料の殆どを失い、経営を圧迫。更に敗戦後は醤油・味噌の原料となる大豆や小麦も配給となり、製造が難しくなります。
こうした中、大分市に工場を新設し、味噌の製造を開始。九州各地への販路開拓をめざし、各地に営業所を設置しました。
揺れ動く時代、経営難の中で、新たな道を探っていました。
ポツダム宣言受諾、太平洋戦争終わる | |
小手川醤油株式会社に組織変更 |
高度成長期の幕開け、小手川醤油は経営の苦しさを乗り越えるべく模索を続けていました。
仕込み用の樽を木樽から温度や微生物の管理が容易なホーロー素材に変更。昭和30年代に入ると工場を増設し、設備も整えていきました。さらに「フンドーキン食品科学研究所」を開設し、効率的な製造技術力アップを図りました。しかし当時、「フンドーキン」というブランドはまだまだ知られておらず、他社との競合は苦戦。営業マンたちは日々、努力を続けました。
フンドーキン食品科学研究所新築落成 アメリカン・ケミカルソサイエティに登録 |
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日本が国際連合に加盟 |
高度成長期、生活様式が便利になっていく中、「スーパーマーケット」との取引を開始し、昭和42年「フンドーキン醬油株式会社」に社名を変更。営業の意見を取り入れた商品開発、販売促進に力を入れるようになりました。1968年、業界初の防腐剤無添加みその「純生」を発売。その後も「純正生」みそ・「生きてる」みそシリーズ、醤油製品の「赤いキャップのゴールデン紫」などのヒット商品を連発しました。さらに生協で取り扱う「九州ブランド」として選ばれ、フンドーキンの製品は全国に広がっていくことになりました。
東京オリンピック開催 | |
業界始めての防腐剤無添加みその開発に成功"純生"で発売 | |
防腐剤無添加しょうゆの開発に成功 "赤いキャップのゴールデン紫"として発売 |
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大分醤油協業組合醤油工場が新築落成 | |
ノンアルコール味噌新発売 |
食の西洋化にともない、醤油、味噌の需要が減少。醤油・味噌以外の商品開発にも力を入れざるを得なくなりました。そのひとつが「ドレッシング」。醤油屋ならではの味とこだわりで造った和風ドレッシングは消費者からも人気を獲得し、1999年、時代の先端を行くドレッシングの新工場を建設しました。
いっぽうで300年前の味の再現をめざし、昔ながらの木製醸造樽の醤油造りを行う、世界一の木造醸造樽を建造。
2007年6月15日には「世界一の木樽」がギネスに認定されました。
味造りにこだわりつづけながら、令和3年、フンドーキン醬油株式会社は160周年を迎えました。長い歴史に培われてきた技術、「醤油、味噌の文化」に対する思いを、これから先の100年、200年へ、確実に伝え続けて行きたいと願っています。
生(なま)しょうゆの開発に成功 | |
ドレッシング工場増設 日本一の木造醤油樽設置(8基) |
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木樽三年熟成「八本木樽醤油」発売 | |
世界一の木製醸造樽設置(540kl) | |
スーパーステンレス製醸造タンク完成 |
ロゴマークのデザインは、かつて目方を量る際に使用した「錘(すい(はかり・おもりのこと))」の形を基にデザインされました。
「確かさ・正直さ」をあらわし、中央に初代創始者小手川金次郎の「金」をあしらっています。
裏表がなく左右対称であることから製品の確かさや、偽りのないことをあらわしています。
商標制定は昭和14年5月、当初のデザインを元にアートディレクターの川崎民昌氏が新たにデザインを起し、現在に至っています。
社名も同様に、裏表がなく確かな「分銅(フンドウ)」に創始者の小手川金次郎の「金(キン)」をつなげて、フンドーキンと名づけられました。