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フンドーキンとのつながり

弥生子はフンドーキンと非常に深いつながりがありました。晩年まで、先立ってしまった弟、フンドーキン二代目金次郎のことや、臼杵のことに心を砕いていたといわれます。弥生子とフンドーキンの絆を物語るエピソードを紹介します。
フンドーキン二代目金次郎の顔写真
フンドーキン
二代目金次郎

フンドーキン2代目金次郎の姉

大学時代に弥生子の自宅に下宿

金次郎は弥生子の6歳下の弟です。早稲田大学に入学すると、弥生子の自宅に下宿していました。その金次郎は大学を卒業すると臼杵に帰り、叔父である初代金次郎の養子として二代目を襲名。 みそ、醤油の醸造業を継ぎました。

フンドーキンへの金銭的援助

二代目金次郎が継いだ当時のフンドーキンの経営は苦しく、給料の遅配も度々でした。11年ぶりに臼杵に帰郷した弥生子は、フンドーキンを訪れ、社員とも言葉を交わしています。その時に社員の元気のなさに気づき、それが給料の遅れが原因であることを知ると、帰京してから金次郎に金銭の援助をし、遅配をたしなめたといいます。

フンドーキン 三代目力一郎の顔写真
フンドーキン
三代目力一郎

フンドーキン3代目力一郎と弥生子

力一郎に弥生子が与えた3つの訓

力一郎は金次郎の実息です。金次郎が会長職となり、力一郎が社長業をついだまもなくのころ、正座をさせて
「おいしいおみそができていますか」
「社員の皆さんのお給料は充分ですか」
「銀行からの借金は返してしまいましたか」

弥生子の訓の写真

という3つの問いを尋ねました。会社の総責任者たる者の心構えを自覚させようとしての行為に違いありません。力一郎は弥生子のただならぬ気迫に押されながら、正直に現状をふまえて答えたといいます。
この3つの問いは力一郎、道郎兄弟の経営者の心構えとして書にしたためられ、今もなお会社の壁にかけられています。

代表作。真知子1930年、迷路1956年、秀吉と利休1962年、森1985年

弥生子99歳を記念して作られたお酒「白寿」

野上弥生子が白寿(99歳)を迎えた折り、記念に「白寿」というお酒が作られました。愛飲する方々の長寿と幸せを願って命名されたもので、ラベルの文字も弥生子の直筆です。麦の風味を生かした爽やかでくせのない本格麦焼酎となっており、現在も小手川酒造で販売されています。

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