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「海神丸」「迷路」「秀吉と利休」などの作者として名高い文学者、野上弥生子は明治18年臼杵のまちに生まれました。99才でこの世を去るまで文筆活動を送った野上弥生子の偉業をたたえるため、昭和61年、生家(小手川酒造)の一部に文学記念館が開館されました。館内では少女時代の勉強部屋も見学できるほか、逝去の直前まで執筆に使用されていた弥生子愛用の品々、夏目漱石から弥生子に宛てた手紙など、遺品約200点を展示、公開しています。
夏目漱石書簡(明治40年1月17日)秀作『明暗』に対しての率直な感想と小説の書き方を教えている最初の弥生子宛書簡 |
遺愛のペンケース急逝の直前まで成城の自宅書斎で『森』執筆などに使用されたペンケース |
遺愛の眼鏡と万年筆弥生子が生前愛用した眼鏡と万年筆 |
原稿小説「塔のある丘」の弥生子の直筆原稿 |
夏目漱石寄贈の着物夏目漱石から弥生子に寄贈された着物 |
白寿の文字小手川酒造製造の焼酎「白寿」のラベルになった弥生子の直筆文字 |
勉強部屋弥生子が少女時代を過ごした勉強部屋が残されています |
入館時間/9:30~17:00 年中無休
入館料/大人(高校生含む):300円小人(小・中学生):150円
お問合せ/0972-63-4803 所在地/大分県臼杵市浜町
小手川酒造は野上弥生子の生家で、創業は安政2年(1855年)の蔵元。当時は酒造りの閑散期に味噌・醤油を造っていましたが、これが現在のフンドーキン醤油株式会社の前身となっています。150年程前に建てられた土壁の蔵の中で、毎冬11月中旬~3月上旬まで黒麹の麦焼酎を昔ながらの手造りで仕込んでいます。
フンドーキンのシンボルともいえる工場。
1970年に完成したみそ工場としてつくられたこの工場は、その規模や製造方式においてそれまでのみそづくりを一変させるもので、過酷な肉体労働を強いられていた現場環境が劇的に改善されました。
新設にあたっては、タンクを「鉄製」にするか「コンクリート製」にするかが最大の課題となり、社内では安価で地震に強いコンクリート製という結論でしたが、会長の金次郎が最終決定会議でそれを覆し、有無をいわさず「鉄製」での建設を決定しました。
この新工場からは「純正生」など多くの製品が誕生しましたが、16年後、みその製造拠点を大分みそ協業組合に移行すると、使命を終えて鉄タンクは搬出されました。
建物は現在も本社工場として、現役で活躍しています。タンクを鉄製にしたことで、今も建物が利用できることを思うと、金次郎の慧眼に目を見張る思いです。
1929年、弥生子が東京の成城で手に入れた家。
スペイン瓦での急勾配の屋根やモルタルの外壁を特徴とする。この家に弥生子は大変満足していたといいます。
生涯作家人生を送った弥生子は、99歳で没する直前まで、この建物の2階にあった小さな書斎で筆を執っていました。この家は1989年に臼杵に移築され、現在有形文化財として、外見の見学は自由となっています。